明治天皇小島行在所
明治5年、明治天皇西国ご巡幸の際の天皇のお泊りになられた場所です。この建物の2階部分に玉座が設けられた。なお、ご巡幸の随従の方方のうち、天皇の侍従医ほか4名が浜田家を宿とされたようです。
明治5年6月17日(旧暦)夜7時40分に御召艦「龍壌(りゅうじょう)」が小島沖に到着されたようですが、そこからが大変だったらしい。天皇は、小汽船「野母丸」に乗り移り小島河口まで来られ、さらに端艇に乗り換えられ、坪井川を上り小島船着場(現小島小学校入口付近)に着岸して御上陸。行在所に到着されたのは約2時間後だったと聞く。
当時、肥後国への天皇巡幸ははじめてのこと。しかも上陸地が小島!!に決まり、その上、ご一泊されるというから町中が大騒ぎ、歓喜の坩堝と化したのは容易に想像できる。
御上陸地一帯を、「御幸」と改め、橋の名も「御幸橋」と改めたことなどから町民の感激と熱狂振りが読み取れる。
この行在所。その後昭和8年に国の史跡となり、保存されてきたが、戦後、明治天皇関係の行在所は指定を解かれた。昭和43年に熊本市の有形文化財に指定され今日に至っている。
天皇は後年、巡航中のエピソードを日記の中でこのように語っておられる。
「小島で端艇の乗船時刻が、干潮のため甚だしく遅れたこたがあった。西郷隆盛は、干満の測定を誤ったとして、海軍少尉を責めた。西郷は激怒のあまり、傍らにあったスイカをつかみ、庭に投げつけた。あまりの勢いにスイカは粉々に砕け散った。天皇は、その一部始終を2階からじっと見ていた・・」と。
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